足立幸子

私の作品は、まったく
自我も自己主張もない
只々、宇宙の波動をアートにしている
本質のみを追窮した
いっさい演出のない
要するに
Let it be!の心境でつくった作品です。
宇宙はアートと科学です。



足立幸子
足立幸子プロフィール
 
1946年6月8日 東京に生まれる
1970年~ カラーコーディネーターとして活躍
1985年 コズミックアーティストとして活動を始める
  兄の育朗氏と宇宙の本質について科学とアート
  両面から情報を確認し合うようになる
1988年 各地で個展活動を開始
1993年6月20日 常設ギャラリーオープンの前日、遺作「究極の宇宙
  意識」に囲まれ、くも膜下出血のため47歳にて逝去
  プレアデスタイゲタ星に帰星する
1994年 「あるがままに生きる」(七賢出版)出版
  遺族による「エンゼルサチの会」が発足
2000年 「To Live As We Are」(英語版・あるがままに生きる)出版
2009年10月 「あるがままに生きる」(ナチュラルスピリット)
出版



時代に寄せて。足立幸子さんの思い。

足立幸子 一期一会

コズミックアーティストとして
私たちに宇宙の本質を表現されてきた足立幸子さん。 

時代が変わっても、調和のとれた振動波を送りつづけて
くれるそのアート・作品は、
今なお多くの方々に愛され続けています.

より自然に日々の生活の中で、
調和のとれた振動波をお楽しみください。

アーティスト・デザイナーとして、より自然なかたちで、
幅広く人々の生活のなかに調和のとれた振動を届けて
ゆきたい、と願っておられた幸子さん。

日々の中で楽しんでお役立てください。





足立幸子さんとテラの出会い

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 足立幸子さんと私が出会ったのは今から十数年前の秋の事でした。
当時超多忙だった船井幸雄先生を訪ねて大阪の船井総研の会長室に伺った時、船井先生から「貴女ととっても気の合いそうな女性に会ったから紹介しよう。今度一緒に東京の会長室に遊びにおいで」といわれて、幸子さんのおうちの電話番号を教えてくださったのが始まりでした。

今も超ご多忙な船井先生ですが、当時からお会いするためのアポを取る事が至難の業だったときに会長室に呼ばれ、しかも1~2時間も時間をとっていただくこと等普通では考えられない事でしたので、私は、早速見も知らない幸子さんに電話をして、事情を話し、○月△日船井先生に呼ばれているのですが・・・ご都合はいかがでしょうか?と話しましたところ、「その日は、お話会の日で、都合が悪いし、私は船井先生に何の用事もないから行かないわ。」といとも簡単に断られてしまいました。その時はまだ彼女の事を全く知りませんでしたので只はっきり主張の出来る人だと感心したものでしたがこれが自分に素直で正直そのものあるがままの生き方なんだと納得できたのはそれから暫らくしてからでした。

「でもあなたが私に会いたいのなら、その日5時に会場に来れば・・・」
と言われて、船井先生に紹介頂いたことだし、なんだか興味がありましたので、その日のお話会に参加すべく東京に出かけていきました。
お話会の始まる2時間くらい前に会場に行きましたら2,3人の人と彼女とがいて、紙にサインペンで絵を描いているところでした。
そして描き終えたら、直径15㎝位もある大きなでこぼこでしかも白くにごっている水晶をその絵の上にのせました。私は何が起こるのか想像も付かずそのまま黙ってみておりました所、暫らくすると紙の上の、乳白色ににごっていた水晶が目の前で透明になってきて下の絵が水晶を通してはっきりと見えるようになってきました。
このときのショックは今でもはっきりと思い出せるくらい強烈な物でした。
そして後で確認しましたら、その絵は、「水晶が本来持っている輝きを取り戻し宇宙と調和の取れたものになる。」と強くイメージ(プログラム)して描いた物でした。

 当時はこうして、貴金属や宝石を輝かせる絵や、個人の波動を高める絵や、病気を治す絵を描いておられました。
人に関する絵は、どうしてもその人の意識が入りますので、反応が早かったり遅かったりと差が出ますが、顕在意識がない、動物だったり、植物だったり鉱物ですと、素直に反応し、変化も人間に比べて早いようで、特に人工的に作られた鉱物などは、変わり始めると、どんどん変化し続け、着色してあったりすると顔料が噴出したりしていました。
こんな現実を度々目の当たりに見てきましたので、彼女がデザインした商品を作りたいといい始めたときに、私はすんなりと、受け入れる事ができたわけです。
兎に角、宇宙と調和の取れた、自然により近い物を世に出すことに意味を感じましたので。



ワールドハーモニー・テラ 寺岡 可江




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